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2010年06月23日

終わらない…夏

       今日は慰霊の日


    毎年この日は定休日で


       沖縄戦の悲劇を繰り返さない・・・


       忘れてはならない・・・行事の一つとなっている。




  昨日、上二人が通う小学校の読み聞かせ担当日だった私は


    子ども達が恐怖や抵抗を感じない絵本を読もうと決めていた。



   何故なら私が小学校の時、沖縄戦での悲劇への思い入れが強く


   目を覆いたくなるような写真や絵本でもお構いなしに見せられたため


   トラウマのような恐怖心を抱くようになっていたからである。



   忘れてはならない惨劇・・・。


       それは重々承知だが、年代を考慮して教え引き継いで行かないと


       単に「こわいもの」として拒むようになってしまうから。


     まさしく私がそうだったので、物心付く頃には


     「年代に合った伝え方をしながら後世に残して行こう・・・。」


   
             そう、強く思っていたので 


  
   戦争体験者の娘である金城明美さんの『つるちゃん』を音読しました。


    ≪下記、絵本より抜粋≫


      8歳の少女をひとりぼっちにしてしまった沖縄戦

      今でも忘れることのできない出来事を、少女は見てきたのですー。

    
  沖縄から発信する、命どう宝=命こそ宝のメッセージ。


✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤


   子どものころ、泣きながら戦争の話をする母といっしょに


  涙を流していました。 おとなになって沖縄戦の事実を知るにつれ

  
  母たちが悲惨な体験をしたことがわかりました。

 
  より安全だと思い、日本兵の後を追うように戦場をさまよって


  しまった母たち。そして次々と家族を失い、捕虜になったのは


  すでに6月23日を過ぎていました。


  それからわたしは、母の体験を「形」にして残したいと


  ずっと思っていました。


  この絵本が永遠の平和を願うメッセージ絵本として


  多くの人々の心に響くことを願っております。


                     (著者) 金 城 明 美






    私も小学校から見続けて来た沖縄戦の写真
  
      

 ✤血で染まった着物のまま救けを待つ少女。 いたいけな少女に
           いったい何の責任があるというのか…。






  ✤アメリカ軍の放った火炎放射機の先には、住民を追い出し
          豪に隠れていた日本兵が逃げ出す姿…。






  ✤首里付近の洞窟にかくれていた所を発見された三人の子ども。
                      (1945年6月)右写真





  ✤洞窟から救け出される子どもを抱いたお母さん。
        この子の泣き声で、アメリカ兵に発見された。



        

  ✤誰に持たされたのだろうか。木の枝に
         白い布を結び付けて出て来た白旗の少女。






 ✤緑生い茂っていたアカギの大木も激しい砲火に焼かれて痛々しい
    首里城の跡。 この地下には日本軍の司令部が置かれていた。




    金城明美さんのような方の絵本や著書が出だしたのは


    私自身・・・つい最近からしか知りません。


    慰霊の日の黙とうを忘れた事はありませんが


    このような体験談の絵本の存在を


    まだ知らない人が多いと思い、記事にアップしました。




  ここ沖縄では戦後からずっと訴え続けている「基地撤退」


  沖縄戦で亡くなった方や、まだ掘り出されていない


      犠牲者の魂が眠る地で続く騒音。。。



   私の祖母も、戦闘機の騒音を耳にする度顔をしかませ

   
   「いったい、いつになったら静まるのか・・・


   この音を耳にする度、昨日の事のように嫌でも思い出す。」


   そう言っていた言葉を、私は一生忘れない。



   私の祖母は沖縄戦の時、まだあかご(子ども)だったとの事。


   先天的にあった背中のコブが痛み、豪の中にかくれている時


   よく泣いていたため日本兵に・・・


   「泣きやまないなら殺すぞ!」と、母は言われていた…。


  小学生の頃から繰り返し、その話を祖母から聞かされていました。



    上の写真の親子は


    運良く救出されましたが、当初 日本兵は


   「アメリカ軍に見つかったら殺される!」


   「アメリカ軍に捕まるくらいなら死ね!」


    そう吹き込まれていた為、追い詰められた住民の殆どが


    沖縄本島南の地にて、日本兵に渡された手榴弾で


    家族が輪になって集まり自決したり


    崖に飛び込んで行った悲劇を残しました。



  もう逃げられないと諦め、救いを求めて豪を出ようものなら


   「お前はスパイだな!」と射殺された住民たち。


 私の祖母も「今思えば、日本兵よりアメリカ兵の方が優しかった」


    その言葉も耳から離れません。


  でも、その一方で「アメリカ兵に強姦され殺された」という


  事実もありで、この時期は色々な記憶が交叉します。




     夏が来れば思い出す 沖縄戦の悲劇


   戦没者の魂や戦争体験者の心が静まる日が


   一日でも早く来る事を願い ここに記します。


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Posted by ラベンサラ at 00:15│Comments(3)独り言
この記事へのコメント
私の治療所に来る戦争経験者のおばぁさん達、色んな惨状見てきてるのにあの明る笑顔・・・戦争のこと知れば知るほどあの笑顔が切なく感じることもありますが、生きることの素晴らしさ感じ色々学ばさしてもらいます。
もう直接的に伝えていく年代は我々の世代で終わりでしょう・・・私なりも勉強して伝えていきます。
Posted by harukazegumiharukazegumi at 2010年06月23日 11:14
● 幼児期のころから、親から戦争の悲惨さを本、映画などを通して
 教えてもらったのですが、あまりにも恐ろしくて夢でうなされたことも
 ありました。
 でも今なぜ親がああまでして、私たち三姉妹に戦争の悲惨さ
 原爆のこと、世界で起こる戦争のことも私たちに伝えようとしたか。。。。
 親になってその気持ちがよくわかるようになりました。

 数年前父がどうしても伊江島に行きたいと言って、戦没者の記念資料館へ 行った時、資料館の方の言葉が今も心に残っています。

 父へ話したのは、言葉だけでは戦争のことは伝えられないです。
 その言葉、気持ちを文にして、未来平和のためにあなたの役割は終わって いない。文章で残しなさい・・・


 ラベンサラさんの記事のように
 いつか子供たちが読む日のためにも、責任を持って綴っていくことは、
 一つの平和への活動だと思います

 戦争がなくなれば基地もいらない・・・・
 世界中の平和を心より願います
 
 
  
 
 
Posted by 陵々 at 2010年06月25日 00:37
✤ harukazegumi さん✤
 うちの祖母が『悲しんでばかりいたら浮かばれないだろう。折角生かしてもらったんだ、消えて行った命の分まで精一杯生きるのが残った私達の役割でもあるだろう。』みたいな事を言っていました。
私も命ある限り、出来る限りの行動を起こして後世に残して行くよう努めます‼
 ❤有難うございました❤

✤陵々さん✤
 私も祖母・母・お姑さんから聞いてきた話を、なんとか機会を作って文章か絵本など《形》にして残さなければ❣…もしくは、戦争体験者の身内が作って絵本を片っ端から集めておこうと強く思っています‼
 戦争がなくなれば基地もいらない。。。ホントそうですよね。
いまでも何処かで戦争が起こっている現状にいたたまれませんが、なにもせず平和ボケして行くよりずっとましです。

私の出来る限りに平和な世の中であり続けるよう~一生をかけて努めて生きます。
 ❤有難うございます❤
Posted by ラベンサララベンサラ at 2010年06月25日 21:41
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